地域の生産現場から
牛を飼うところから、食卓まで。原点を見失わない仕事の先にある未来とは/永利牛乳(福岡県太宰府市)
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福岡県太宰府市に、日本では数少ない業態の乳業メーカーがあります。永利牛乳です。分業が当たり前の業界にあって、自社で牛を育て、搾乳し、工場で製品にする――経済性だけを考えれば決して効率的とはいえない方法を、なぜ選ぶのでしょうか。そこには、生産者の顔が見える牛乳づくりへの情熱がありました。

なぜ牛乳だけを作り続けるのか
永利牛乳で製造しているのは、成分無調整の牛乳のみ。成分調整牛乳や、バターなどの乳製品はありません。その理由を尋ねると、「創業者の言葉を守っているんですよ」と話すのは専務の長谷川章子さんです。
永利牛乳の創業は、1942(昭和17)年、章子さんの祖父である永利嘉作さんが、現在本社のある太宰府市にほど近い二日市町の牧場を譲り受けたところまで遡ります。戦後、搾乳した牛乳を近隣の工場に委託生産する形で自社ブランドを立ち上げた嘉作さんは、その牛乳を市価より安く販売。「永利の純良10円牛乳」は大人気を博します。「ただそれが市場を乱すということで、委託するのが難しくなったのです」と、社長の長谷川敏さんが言葉を続けます。そこで自社で製造を始めたのが、現在のように永利牛乳が牧場から製造まで、一貫して生産を行うきっかけとなりました。生産者と消費者を結ぶ新しい流通モデルを模索したこの動きは、永利牛乳にとって最初のイノベーションだったといえるかもしれません。
嘉作さんは、牛乳は単なる飲み物の一つとしては捉えていませんでした。戦争の食糧難を経験する中で、高い栄養価を誇る牛乳の重要さに気づいていました。「牛乳は完全栄養食品。混ぜものをしちゃいかん、栄養を抜いちゃいかん」とことあるごとに語っていた嘉作さん。その意思を継いで、永利牛乳ではその言葉の通り、今でも質の高い生乳から成分を除去・調整・添加することなく、工場での殺菌処理を経て、牛乳だけを製造しています。

大切なことを譲らないために、永利牛乳は工夫を積み重ねてシンプルな経営を行っています。製品はわずか数種類。直営の永利牧場で育てた牛の乳を使った、プレミアムな「永利牧場(まきば)の牛乳」は、場内で収穫された牧草のサイレージ独特の柔らかな甘みとコクがありつつ、さっぱりとしたおいしさで多くのファンがいる商品です。長年愛飲している顧客からは、こんな声が聞かれます。「ここの牛乳を飲んだら、ほかのものはもう飲めません。後味がスッキリしていて、子どもも大好きです」。こちらは、主に顧客の自宅への宅配を行っています。
「永利F-ミルク」は学校給食用です。福岡県内の約3分の1の小・中学生が、永利牛乳の無調整・無添加の牛乳を飲んでいます。特筆すべきは300mLの製品がある点です。章子さんは、こう話します。「一般的には200mLが多いのですが、育ち盛りの子どもたちに、特に夏場はたっぷり飲んでほしいと開発しました。学校給食は、子どもたちの栄養に責任を持つ大切な役割がありますから」
これらを100%受注生産することで、無駄を省き、必要な分を一番新鮮な状態で届けることができます。このシンプルなやり方こそが、高品質な牛乳製造を続けられる秘訣なのです。



牛乳は、お母さん牛からの贈り物
本社から車で約30分。広々とした田園風景の中にある永利牧場では、100頭ほどの牛たちがゆったりと草を食んでいます。

永利牧場の大きな特徴は、牧場で子牛の誕生から哺乳・育成、2年かけて初めて乳を出すまでに育て上げること。都府県では出産できるようになるまで育成する専門の牧場に預けたり、すぐに乳が出る妊娠牛を購入する酪農家が多いなかで、これは膨大な手間がかかり、時間もコストも必要とします。「効率はよくないんですけどね、いいこともたくさんあるのですよ」と敏さん。このやり方を貫くのは、外部からの感染症を防ぎ、牛を健康に育てるという理由もありますが、永利牛乳にとって、それ以上に大切な意味があるからです。


敏さんは続けます。「牛乳というのは 『子どもを産んだお母さん牛のおっぱいを分けてもらっている』ものです。工場で加工されて店頭に並ぶ牛乳だけ見ていると、まるで工業製品のように思えるかもしれませんが、自然の一部なのです。これを忘れないために、原点を見失わないために、私たちは酪農を手放さないのです」。「永利F-ミルク」のパッケージに印刷された「牛乳は、お母さん牛からの贈り物」という文章は、私たちに自然の恵みをいただいていることを、思い出させてくれます。


牛舎の周りには、広大な自社の畑が広がっています。そこでは牧草やトウモロコシが青々と茂り、スタッフはそれを刈り取り、じっくり発酵させてサイレージ(貯蔵用の飼料)を作ります。ご近所にあるビール工場や醤油工場から分けてもらったビール粕やしょうゆ粕を混ぜ、栄養価が高く環境にも優しい飼料を、牛は食べて育ちます。手間のかかる自給飼料にこだわるのは、牛の口に入るもので牛乳の味わいが決まるため。牛の排泄物も無駄にせず、完熟堆肥にして、再び畑の肥料として使われます。
牛乳だけを作ること、畑から飼料を作ること、赤ちゃんから牛を育てること。すべての要素が絶妙にバランスをとりながら、牛乳を取り巻く循環が成り立っています。なにも隠されることなく、一本の牛乳がフェアに正直に作られる様子は、見学者の心を動かします。「生産者の顔が見える牛乳を作りたい」という敏さんの言葉が、目の前の景色から見えてきました。

牛乳は「飲む」から「食べる」へ
永利牛乳では、もう一つユニークな取り組みを行っています。それが「乳和食」の提案です。伝統的な和食は健康的な一方で、どうしても塩分が多くなりがちだという弱点があります。そこで、味噌や醤油などの調味料と、天然のコクと旨味を持つ牛乳を合わせて使うことで、和食の繊細な風味はそのままに、なんと食塩の量を約3分の1まで減らすことができる調理方法です。
牧場敷地内のレストラン「まきばの家」で提供される乳和食のメニューは、驚くものばかり。シチューのようなものをイメージしていると、その想像は裏切られます。たとえば、「さばのミルク味噌煮」は、水ではなく牛乳で煮込むものの、牛乳特有の臭みはまったくなく、味噌の使用量を減らしながらも濃厚な味わいです。牛乳から分離させた乳清を使って炊いた「十六雑穀米」は、ほんのりとした甘味を持ちながら、血糖値の上昇を抑えるヘルシーな効果もあるのだとか。


「減塩というと、『味気ない』『おいしくない』というイメージがありますよね。でも牛乳や乳清が持つ自然のコクと旨味を使えば、こんなに豊かで美味しい食事になるんです」と、章子さんの言葉に熱がこもります。永利牛乳では、この知見を役立ててほしいと、ふだんから市町村を回り、講習会や調理実習を開いています。
改めて牛乳の価値を伝え続ける
年間5,000人を超える子どもたちが、永利牛乳の工場や牧場を見学に訪れます。初めて牛を見て、搾乳の現場に触れ、その牛乳で作られた料理を食べる。ふだん飲んでいる牛乳が、生き物からいただいた「命の恵み」であることを知る貴重な経験です。

「酪農家が減り続ける今だからこそ、生産の現場を持ちながら、牛乳を作ることに意味がある」と敏さんは語ります。非効率を恐れず、理念をあきらめず形にしてきた永利牛乳。食の安全と健康について、改めて考える機会が多い現代では、その価値がより意味を持つに違いありません。
文/浅野佳子 写真/鷲崎浩太郎




