最高の一杯を楽しむ

心をほぐす“風呂上がりの一杯”/松江・ちどり湯で出会う木次牛乳

更新

お風呂上がりに、旅の途中に、目覚めの食卓で——。牛乳は、いつ、どんな場所で飲むかによって、味わいの豊かさが変わります。牛乳をよりおいしく楽しめる”最高の一杯”を求めて、日本各地を訪ねました。

ちどり湯を営む株式会社ざぶーんの阪本修覚社長

究極の“風呂上がりの一杯”。


そんな牛乳を求めてやってきたのは、島根県松江市にある“まちなか健康銭湯ちどり湯”です。2017年にオープンした市内唯一の公衆浴場で、宍道湖の北岸に近い、カフェや整体が入ったテナントビルの1階にあります。「ゆ」と書かれた巨大な垂れ幕を抜けて中に入ると、運営会社である株式会社ざぶーんの社長・阪本修覚さんが、にこやかに出迎えてくれました。


胃袋をぎゅっとつかまれた一杯

週6日、午前10時から午後10時まで営業しているちどり湯。浴室の手前にある休憩スペースで目を引くのが、「きすき牛乳」と赤い文字で書かれたレトロな自動販売機です。ガラス扉の向こうには、200ミリリットル瓶に入った牛乳とミルクコーヒーが行儀よく並んでいます。


硬貨を入れてボタンを押すと、牛乳瓶が一本、くるりと時計回りに回転し、コトンと前に押し出されました。その動きはまるで機械じかけのからくり人形のよう。扉を開けて、ぽってりした厚みのガラス瓶を取り出すと、表に描かれた雌牛のイラストが心を和ませます。昔ながらのフィルムと紙のキャップを外し、牛乳を一口飲んでみると、混じり気のない優しい甘さが口いっぱいに広がりました。

自動販売機のガラス扉の向こうで、行儀よく並ぶ牛乳瓶たち
レトロな自動販売機によって、牛乳を買うこと自体が特別な体験に

すぅっとした喉越しで、おいしいでしょう。角がなく、丸みを帯びた味というのかな。“人の心をつかむには、胃袋をつかめ“なんて言うけれど、島根に来てこの牛乳を初めて飲んだとき、僕は胃袋をぎゅっとわしづかみにされてしまってね」


懐かしみながらそう話す阪本さん。銭湯を始めるにあたり、風呂上がりの牛乳を置こうと考えたとき、「木次(きすき)牛乳しかない」と思ったといいます。


「徹底的に自然にこだわる姿勢や丁寧な牛の管理など、生産者の日頃の手間暇が、クオリティーとなって味に表れているんですよね。木次さんの牛乳を飲むと、心の角も取れる気がするんです」

ちどり湯の自動販売機で販売されている、木次乳業の「パスチャライズ牛乳」と「ミルクコーヒー」。

待つ時間も、味わいのうち

木次牛乳を製造・販売する木次乳業は、日本で初めて低温殺菌牛乳(パスチャライズ牛乳)を市場流通化した乳業会社です。1962年に創業し、自然豊かな奥出雲地域で、のびのび育った牛の新鮮な生乳を使った牛乳づくりを続けています。地元・島根の学校給食にも採用されており、地元の人なら誰もが知る存在です。


この木次乳業に頼み込み、現役で稼働している一番古い自動販売機を置いてもらったという阪本さん。あえてレトロなものを選んだわけは?


「最新の自動販売機は、早くて正確で、ムダがないけれど、どこか味気ない。この木次乳業の販売機は牛乳を飲むまでにいくつものステップが必要だし、次の一本を買うにも、しばらく待たなくちゃいけない。でも、このまどろっこしくて“圧倒的に時代遅れな感じ”こそが、かつての日本人の暮らしにあった、“ゆとりの象徴”のように思えるんです」


「牛乳が出てくるまでの少しの時間で、誰かとおしゃべりをしたり、機械の動きを眺めたり。昔の人にはそんな時間も楽しめる心の余裕があったのでは」と阪本さんは語ります。

飲み終わった牛乳瓶を入れるケースの、「木次パスチャライズ牛乳」の文字もほっとする味わい。多くの空瓶が綺麗に並べられていた。
自動販売機の上には、ちどり湯お手製のPOPが。愛あふれる内容にほっこり。

自販機を囲み、「こんな機械初めて見た!」「どうなってるんだろう」とはしゃぐ学生や観光客。瓶を持ち帰りたいとお母さんにせがむ子ども。暑い夏の日、入浴前の一杯で喉の渇きを潤すおじいさん。ちどり湯でも、この自動販売機の前で、日々、いくつもの物語が生まれます。


「2歳くらいの子が、小さな両手で一生懸命牛乳瓶を抱えて、ゴクゴクと丸ごと一本飲み切ったりして、かわいいんですよ。『アイスクリームみたいな味がする!』なんて、目を輝かせて。アイスクリームの原料はミルクだなんて知らないだろうに、この甘さで分かるんでしょう。子どもの舌は正直なんですね」と目を細める阪本さん。年季の入った自動販売機で購入する体験も含めて牛乳を楽しむお客さんの姿を眺めるのが、日々の喜びといいます。


「どういうわけか、老いも若きも、牛乳を飲むとき腰に手を当てる人が多いんですよ」と、笑いながら教えてくれました。

お客さんたちは、風呂上がりに購入しては、自販機のそばで飲み干していく。
定休日以外の週6で訪れて欠かさず牛乳やミルクコーヒーを飲むという常連さん。「勢いよく飲む」のがよりおいしく飲むポイントだと教えてくれた。

体も心も裸になって、元気をもらえる場所

木次パスチャライズ牛乳は、素材そのまま風味を生かしているぶん、高温殺菌した牛乳に比べて日持ちがしません。そのため、阪本さんは日々の発注にも気を配ります。


「来週の日曜はイベントで道路が封鎖されるから、あまり出ないかな、とか、マラソン大会の日は走り終わったランナーがたくさん買うだろう、とかね。廃棄を出さないよう、ギリギリを見極めながら発注するんです」 効率だけを優先しない姿勢が、ちどり湯の空気を形作っているようにも感じられます。

初めて来ても、なんだかほっとする。そんなあたたかさがちどり湯にはある。

「一人暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんが毎日のように通い、近況を確かめ合う。温泉に浸かってホッとして、隣の人と言葉を交わす。走り回る子どもたちを『元気でいいねぇ』なんて眺めているうちに、いつのまにか自分も元気をもらっている。裸同士の付き合いっていうけれど、銭湯は人と人とを繋げる、大切なコミュニティー。外で顔を合わせるのとは少し違う、特別な憩いの場なんですよね」


約30年前に、奥さんの故郷である島根に移住し、地域の再開発事業に携わってきた阪本さん。この場所も、もともとは再開発の計画の中で目玉となる施設でしたが、運営を引き受ける人がなかなか見つかりませんでした。最終的に「誰もやらないなら」と、阪本さん自身が手を挙げ、ちどり湯をスタートさせたといいます。

社長の阪本さん自ら店番に立ち、地域の人々の交流を見守っている。

「始める前は勇気がいったけどね、みなさんの心身の健康に貢献できる、すごくいい仕事ですよ。これからもずっと、お客さんたちに安らぎと安心安全を届けていきたいですね」


今日もちどり湯では、木次牛乳の自動販売機の前に、老若男女が集います。湯気の残る体で自動販売機に硬貨を入れ、ガラス瓶を手に、ほっと一息つく。湯上がり後の冷たい一杯と仲間とのおしゃべりが、心をほぐしていく——。これからも木次牛乳は、ちどり湯の変わらない憩いの風景の中心であり続けるでしょう。

「控えめな存在感が逆にいいんです」と阪本さんが話す、木次牛乳の自動販売機がちどり湯を見守る。

ちどり湯

島根県松江市千鳥町83 COCO MATSUEビル 1F

営業時間:10時〜22時(最終受付21時20分)

定休日:水曜日

https://r.goope.jp/chidoriyu


文/中村茉莉花 写真/藤田和俊

Pickup Contentsピックアップ
コンテンツ